日経新聞 2021年8月5日 

 ポイント
○米中冷戦の決着を急ぐと最悪の結果招く
○企業の市場支配回避へルール変更不断に
○日本企業は冷戦長期化に貢献する戦略を

  米中冷戦は30年以上続くと聞くと、多くの企業人はけげんな表情を浮かべる。しかし冷戦が長期化する方が、日本および世界にとって有益という考え方に人々は気付いていない。冷戦が実際の戦争(熱戦)にならない状態こそが平和な状況という理解に乏しいのだ。急激に力の均衡が崩れる方が、戦争リスクは高まる。新しい現実への準備が紛争当事国のみならず、周辺国にもできていない状態で勢力均衡が大きく崩れると、新秩序が台頭するまでに混乱が生じる。これを機に現状変更を仕掛けようとする勢力の動きも活発になる

◇◇

  冷戦を引き起こさない努力と、起きてしまってからの努力では、力の投じ方が全く違う。米中冷戦が起きないことを願ってきた人々は、起きてしまった状態に早く蓋をして、鎮静化したいという思いに駆られて早期決着を望みがちだ。だがそれこそが緊張を急激に高めて最悪の結果を招く。米国がトランプ政権下で始動させ、バイデン政権でも変えていない対中政策の骨子は「中国の不当な方法による成長を遅らせる」ことだ。

 米国の新興技術分野での対中輸出規制の継続や対米外国投資委員会(CFIUS)の一層の強化策は、中国によるサイバー攻撃や強制労働などを活用した健全な競争に基づかない技術開発を阻止し、中国の追い上げ速度を遅らせることを目的とする。これは冷戦の長期化にも合致する思想だ。

 米中冷戦と米ソ冷戦では技術開発競争の方法が全く異なる。米ソ冷戦は、閉ざされた軍事産業や宇宙開発産業における、軍事ニーズに基づく戦場という限定された特殊な環境を前提とした技術開発競争だった。

 一方、米中冷戦は一般市民・企業を顧客として囲い込み、集めた大量のデータを活用して技術開発し、製品やサービスを広く普及・浸透させ、それを兵器化させる競争だ。そこでは一般市民・企業を「顧客に取り込むプロセス」が不可欠だ。市民のニーズを満たし、利用が不可欠となる市場ポジションを獲得しなければデータを入手できないため、企業間の顧客獲得競争を制することが欠かせない。

 ゆえに競争環境を能動的にコントロールする意志を持ち、制度を作り替え続けなければ、無料配布や政府の補助金を後ろ盾にした圧倒的な低価格により、一気に市場を支配する企業が現れる。特定企業による市場支配が過度に進めば、その企業の技術進化が加速して勢力均衡を崩す速度が速まる。同時にその企業を兵器化して悪用し、影響力工作や分断工作、意図的な誤作動などにより社会を不安定化させるリスクも高まる。

 国内の治安崩壊による急激な国力低下も、米中冷戦を短期決戦に導きかねない要因だ。市場占有率が過度に高く社会への影響力が大きすぎる企業の誕生を、安全保障上の危険因子とみなすのが新たな常識になる。

 だからこそ戦略的な意志を持って、一般市場での顧客奪い合いのルールを複雑で難易度の高いものへと作り替え続け、特定企業による市場占有速度を鈍化させなければならない。加えてルールを断続的に変更し続け、定期的に寡占状態を破壊していく必要がある。

 強制労働問題はその一例だ。不当な労働により健全な価格競争をゆがめ、常軌を逸した低価格で市場を独占し、その企業が力の均衡を急激に崩す恐れを生む。サプライチェーン(供給網)での人権リスクを調査・対応する「人権デューデリジェンス」はこれを回避するルールに位置付けられる。企業はそのための組織体制整備、実施コストを織り込んだ「より高度な経営」へと変革を強いられ、投資領域の多様化が生じることで寡占速度が低下する。

 米国で見直しが進む反トラスト法(独占禁止法)も冷戦の長期化策として歓迎すべきだ。グローバルIT(情報技術)企業を解体すべきだとの議論は、寡占を悪用したフェイクニュースの拡散や影響力工作で民主主義の発展を妨げるという「社会に不利益をもたらす」ことが理由になり始めた。

 中国もこのリスクを認識しているようだ。アリババ集団傘下の金融会社アント・グループの上場中止と金融持ち株会社への移行命令、プラットフォーマーとなった滴滴出行(ディディ)や美団への独占禁止法違反の調査、100万人超の個人情報を有する中国企業が海外上場する場合の政府の審査義務付けなどだ。寡占企業への影響力が隅々まで及ばなくなり、中国共産党による統治への危険因子となる前に、寡占が生むリスクを排除するルールを形成し始めたとみられる。

◇◇

 日本企業は、冷戦の長期化が日本としての大戦略であり、それに貢献できるように戦略をリンクさせることが最大の社会的責任だと理解する必要がある。市場占有速度を遅らせる、または寡占状態を解体するルール形成に対し、安全保障戦略の意図を深く理解し、変革を強いられるルールを肯定的に受け止め、機会に転じていかねばならない。

 例えば米中が協調領域に位置付けた気候変動政策についても、冷戦を長期化させるルール形成を日本企業はリードできるはずだ。今は二酸化炭素(CO2)だけが議論の中心だが、地下水の存在量低下も深刻な社会課題だ。サプライチェーンで使用した水の消費量をオフセット(相殺)する取り組みも加えることは、高度なルールを形成するテーマ数を増やすという意味で冷戦の長期化に寄与する。

 例えば下水の再利用率を高める、使用水量と同量の地下水の復元を雨水の貯蔵により義務づける、製造時に大量の水を消費する製品は水の存在量が多い地域でしか製造できないようにするなど、様々な切り口がある。ルールの構想を政府任せにせず、企業が自ら案を考えて政策提言していくことが、冷戦の長期化に貢献する具体的な行動だ。

 欧州連合(EU)はサーキュラーエコノミー(循環経済)を始動している。ドイツでは再生可能プラスチックを90%以上使用するパソコンだけを公共調達の対象にしたほか、フランスでは再生可能プラスチック以外の包装材に罰金を科し始めた。日本企業にとっては単なるコスト増でしかないEUの環境ルールも、米中冷戦を長期化させるルール形成としてとらえ直し、EUのルールに能動的に適応して世界に普及させる活動にまで昇華すべきだ。

 業界リーダーなら、高度な独自の取り組みを自主ルールとして発表し、競合企業にも同様の取り組みを促すべきだ。冷戦長期化を協調領域に位置付け、業界全体で新たな自主ルールを検討し、世界に広げていく枠組みを立ち上げることも有効だろう。サプライチェーンまで含めてルール化し、実現の難易度を一層引き上げ、取り組みを実施した企業からしか調達できないルール形成も進めるべきだ。

 冷戦を引き起こさない努力と、起きてしまってからの努力では、力の投じ方が全く違う。米中冷戦が起きないことを願ってきた人々は、起きてしまった状態に早く蓋をして、鎮静化したいという思いに駆られて早期決着を望みがちだ。だがそれこそが緊張を急激に高めて最悪の結果を招く。米国がトランプ政権下で始動させ、バイデン政権でも変えていない対中政策の骨子は「中国の不当な方法による成長を遅らせる」ことだ。

 米国の新興技術分野での対中輸出規制の継続や対米外国投資委員会(CFIUS)の一層の強化策は、中国によるサイバー攻撃や強制労働などを活用した健全な競争に基づかない技術開発を阻止し、中国の追い上げ速度を遅らせることを目的とする。これは冷戦の長期化にも合致する思想だ。

 米中冷戦と米ソ冷戦では技術開発競争の方法が全く異なる。米ソ冷戦は、閉ざされた軍事産業や宇宙開発産業における、軍事ニーズに基づく戦場という限定された特殊な環境を前提とした技術開発競争だった。

 一方、米中冷戦は一般市民・企業を顧客として囲い込み、集めた大量のデータを活用して技術開発し、製品やサービスを広く普及・浸透させ、それを兵器化させる競争だ。そこでは一般市民・企業を「顧客に取り込むプロセス」が不可欠だ。市民のニーズを満たし、利用が不可欠となる市場ポジションを獲得しなければデータを入手できないため、企業間の顧客獲得競争を制することが欠かせない。

 ゆえに競争環境を能動的にコントロールする意志を持ち、制度を作り替え続けなければ、無料配布や政府の補助金を後ろ盾にした圧倒的な低価格により、一気に市場を支配する企業が現れる。特定企業による市場支配が過度に進めば、その企業の技術進化が加速して勢力均衡を崩す速度が速まる。同時にその企業を兵器化して悪用し、影響力工作や分断工作、意図的な誤作動などにより社会を不安定化させるリスクも高まる。

 国内の治安崩壊による急激な国力低下も、米中冷戦を短期決戦に導きかねない要因だ。市場占有率が過度に高く社会への影響力が大きすぎる企業の誕生を、安全保障上の危険因子とみなすのが新たな常識になる。

 だからこそ戦略的な意志を持って、一般市場での顧客奪い合いのルールを複雑で難易度の高いものへと作り替え続け、特定企業による市場占有速度を鈍化させなければならない。加えてルールを断続的に変更し続け、定期的に寡占状態を破壊していく必要がある。

 強制労働問題はその一例だ。不当な労働により健全な価格競争をゆがめ、常軌を逸した低価格で市場を独占し、その企業が力の均衡を急激に崩す恐れを生む。サプライチェーン(供給網)での人権リスクを調査・対応する「人権デューデリジェンス」はこれを回避するルールに位置付けられる。企業はそのための組織体制整備、実施コストを織り込んだ「より高度な経営」へと変革を強いられ、投資領域の多様化が生じることで寡占速度が低下する。

 米国で見直しが進む反トラスト法(独占禁止法)も冷戦の長期化策として歓迎すべきだ。グローバルIT(情報技術)企業を解体すべきだとの議論は、寡占を悪用したフェイクニュースの拡散や影響力工作で民主主義の発展を妨げるという「社会に不利益をもたらす」ことが理由になり始めた。

 中国もこのリスクを認識しているようだ。アリババ集団傘下の金融会社アント・グループの上場中止と金融持ち株会社への移行命令、プラットフォーマーとなった滴滴出行(ディディ)や美団への独占禁止法違反の調査、100万人超の個人情報を有する中国企業が海外上場する場合の政府の審査義務付けなどだ。寡占企業への影響力が隅々まで及ばなくなり、中国共産党による統治への危険因子となる前に、寡占が生むリスクを排除するルールを形成し始めたとみられる。

 日本企業は、冷戦の長期化が日本としての大戦略であり、それに貢献できるように戦略をリンクさせることが最大の社会的責任だと理解する必要がある。市場占有速度を遅らせる、または寡占状態を解体するルール形成に対し、安全保障戦略の意図を深く理解し、変革を強いられるルールを肯定的に受け止め、機会に転じていかねばならない。

 例えば米中が協調領域に位置付けた気候変動政策についても、冷戦を長期化させるルール形成を日本企業はリードできるはずだ。今は二酸化炭素(CO2)だけが議論の中心だが、地下水の存在量低下も深刻な社会課題だ。サプライチェーンで使用した水の消費量をオフセット(相殺)する取り組みも加えることは、高度なルールを形成するテーマ数を増やすという意味で冷戦の長期化に寄与する。

 例えば下水の再利用率を高める、使用水量と同量の地下水の復元を雨水の貯蔵により義務づける、製造時に大量の水を消費する製品は水の存在量が多い地域でしか製造できないようにするなど、様々な切り口がある。ルールの構想を政府任せにせず、企業が自ら案を考えて政策提言していくことが、冷戦の長期化に貢献する具体的な行動だ。

 欧州連合(EU)はサーキュラーエコノミー(循環経済)を始動している。ドイツでは再生可能プラスチックを90%以上使用するパソコンだけを公共調達の対象にしたほか、フランスでは再生可能プラスチック以外の包装材に罰金を科し始めた。日本企業にとっては単なるコスト増でしかないEUの環境ルールも、米中冷戦を長期化させるルール形成としてとらえ直し、EUのルールに能動的に適応して世界に普及させる活動にまで昇華すべきだ。

 業界リーダーなら、高度な独自の取り組みを自主ルールとして発表し、競合企業にも同様の取り組みを促すべきだ。冷戦長期化を協調領域に位置付け、業界全体で新たな自主ルールを検討し、世界に広げていく枠組みを立ち上げることも有効だろう。サプライチェーンまで含めてルール化し、実現の難易度を一層引き上げ、取り組みを実施した企業からしか調達できないルール形成も進めるべきだ。

 顧客獲得のために対応すべき高度なルールを構想し世界に普及させ、それを改変し続け、顧客獲得コストの増大とルールに適応するための経営改革に資源と時間を投じさせる。日本企業には冷戦を長期化させる戦略思考と行動力が必要だ。

國分俊史 こくぶん・としふみ
・多摩大学教授 早大院修了。多摩大ルール形成戦略研究所所長。専門は経済安保起点のルール形成戦略